
どうも、うすオレです。世間では成人式が始まりますね。今日改て、僕らの脳は本当に不思議なものだと思いました。
皆さんも経験がありませんか?
記憶を鮮明に思い出せることって。
そのタイミングがなぜか僕の場合、今日だったんです。
というのも、そういえば成人式っていつだっただろと思った瞬間に、記憶が逆流したわけです。
で、そこから大人になったなという感覚ってどこで、思ったんだろうと考えてたら、わりと最近でビックリした話です。
これはもう完全に致命的かもしれません^^;
大人のステージ
世間では成人式の雰囲気が漂っていますが、皆さんは自分が参加した成人式の日って覚えてたりしますか?
僕は毎年成人式がいつだったなんて思い出したこともないし、随分と長い間考えたこともなかったわけですが、何故かふと今日思ったわけです。
で、成人式に参加した日が今日だったというわけです。
そこで思ったことは人間の脳ってやっぱ凄いのねってことでした。
全ての現象を記憶することは不可能なのに、無意識に長期記憶できているわけですよ。
しかし、その記憶は必ずしも重要なものばかりではないなと僕は思うわけです。
というのも、今日思い出した記憶はさほど重要なものではなかったからです(笑)
でも、その記憶がフックとなり考えることができたのが“大人になったって感覚”どこだったかなということです。
これが僕の場合は、BORUTO-NARUTO-NEXTGENERATIONS-でしてワリと最近で自分でもビックリしました(笑)
知っている人もいると思いますが、この漫画はNARUTOが大人になり、主人公がナルトの息子BORUTOです。
普段から僕は漫画が好きでそれなりに読んでいるわけですが、NARUTOは僕が子供の頃に連載されててそれを読んで育ってきました。
で、大人になった感覚を強く感じたときがナルトが親になっている漫画を見たときでした。
もちろん、それ以前にも“大人として……”みたいなことはしていましたよ。
世間的なことも色々ありますし、ただ間違いなく言えるのは“大人だなと思った日”は成人式の日ではなかったことは確かです。
この日を境に大人だなと思える人は率直に凄いなと思います。
とはいえですよ、そんな焦らなくてもいいと思うわけです。
変に、大人だから大人だからと思ってしまえば、それが逆に空回りすることにもなる。
そんな経験はありませんか?
特に“好奇心やチャレンジ”という面においては、その傾向が強くでてしまうのではと僕は思うわけです。
大人だからそれをやると恥ずかしい、大人だからこうであるべきだ、などという思考は時に自分の可能性を狭めるものだと思うわけです。
だから、“大人になったなという感覚は人生のどのステージ”にあってもいいんだと、今日発見しました。
そして大人だからやれないできないではなく“大人だからできる”という考え方が大切だなと思った日でした。



ではでは。
コメント